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 2010.10.16 UP DATE
井の頭の池と平林寺のそば。


吉祥寺が変わる。ロンロンがなくなってアトレになるんだという。
ぼくらの遊び場は井の頭公園だった。
北口に日活があった頃、屋台の「太郎」でマス酒とおでんを立ち飲みしながら
だれかが。井の頭の池にいこうといいだした。自転車にのってすっぱだかになって
池まで走った。そのまま飛び込んでも腰までもないくらい浅い。
帰りに急に恥ずかしくなって、名曲喫茶のレンガに自転車ごとぶつかってこけた。
「平林寺のそばのそばや」でちょっときどってザルを頼むのが気に入っていたと思う。
ハンナバーバラの「恐妻天国」がモノクロ画面だった頃の事です。


あまりに暑いので携帯であちこち撮りながら近くを歩いてみた。
駅前の変わりように比べるとうちのまわりは5、60年前とそんなに変わっていない。
今紀伊国屋がたっているところに、外務省の官舎があって、遠藤君一家が住んでいた。
よく遊びにいっては押入れに閉じこもってオバケごっこをしたり、懐中電灯を持ち込んで野球盤をやったりしていた。
小学校の頃は、水道通りは松林が随分高く育っていて、そのあいまでタコあげや三角
ベースをして陽が沈むまで外でドロンコになっていた。ケガはしょっちゅうだった。
目の前の原っぱで2Bをマッチで擦って洗濯バサミで飛ばしあう戦争ごっこの最中に
草に火がついて大騒ぎになったり。
井の頭公園の上流にアメリカザリガニを採る仕掛けをして朝出かけたら、アオカンの
お兄さんに怒鳴られたりもした。次の日は木刀を持っていった。
ある日、松林が切り倒されて、直径3メートル以上はありそうな水道管がむき出しに
なっていて、ぼくらは何人かでその中にもぐってドンドンドンドン足音に追っかけられるように進んでいったのだった。怖いからみんな大声を出していた。
あとから考えると町内2ブロックくらいは歩いたと思う。ぼくたちのSTAND BY ME。
トンネルの出口をみつけてはい出してみたら、学校の先生とお巡りさん達が恐い顔で
腕組みして待ち構えていた。あんまり怒られなかったような気がする。
いつも仲間だった遠藤君の葬式があったのは小学校卒業前だった。

 
井の頭の池と平林寺のそば。
今年のキーワードは自然とPOP。
今度はアートと鎌倉のコラボ、「鎌倉巡空」
由緒ある寺に不思議な光景が溶け込む。

懐かしい唄にのせた新しいまつりは生まれるか。
ダンスがしたいのに環境がない「ハマこいカーニバル」。
網膜剥離手術のあと眼の中に浮かんだウミクラゲ。
日比谷のジョルジュ・ベンジョールに
2000人のブラジリアンが踊り狂った日。
メコンの誘惑。泥と騒音とネオンの汗臭い世界。