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 2018.06.01 UP DATE
「生誕110年東山魁夷展」大回顧展開催。

『緑響く』 1982年 長野県信濃美術館東山魁夷館

京都では30年ぶり、東京では10年ぶりの大回顧展。
計約80点、『道』『残照』『緑響く』など代表作を網羅する他
東山芸術の集大成・唐招提寺御影堂障壁画が再現展示されます。


『夕星』1999年 『行く秋』1990年 いずれも長野県信濃美術館東山魁夷館


父親が病を得たため、東京美術学校研究科卒業後に
留学したドイツから帰国した東山魁夷は、
美術学校4年の時に初入選した官展への出品を続けるが、
学校時代の仲間たちのように受賞をすることはなかった。
その東山が官展で特選を受けるのは、昭和22 (1947)年第3回B展に出品した『残照』でのことである。
終戦前後に、父、母、そして弟が亡くなって妻以外の身寄りを失い、
また、空襲により自宅も失った東山は、
『残照』を発表する直前、人生のどん底にいた。
このような中、写生のために千葉県鹿野山の山頂に座り、
沈みゆく太陽が、蓬かに連なる峰々を刻 刻とさまざまな色に染めてい<さまを
見つめていた画家は、この自然が作り出す光景と自分の心の動きが重なり合う充実感を味わう。
以後東山は、気負うことなく素直な目と心で自然を見つめ、
そこに現われた生命に自分の心を重ねた風景画を描くようになる。
写生地の特徴を残しつつも普遍化された東山の作品は、
日本の風景に親しんだ人々にとってはよく見知っているもののように感じられ、
素直に心を委ねることの出来る風景画となっており、
やがて「国民的風景画家」あるいは「国民的画家」と呼ばれるようになる。
「作品をみる」では『残照』を始め代表作をご覧いただけます。

昭和46(1971)年東山は、前年の暮れに奈良の唐招提寺から受けた、
開山・鑑真和上の像を安置する御影堂障壁画制作と御厨子内部装飾の依頼を正式に受諾する。
大和朝廷の要請を受け、5度の渡航失敗を経て失明するも、
6度目にして漸く日本の地に辿りついた鑑真。
その鑑真が見たかったであろう日本の風景を抽出した『山雲』『濤声』それぞれ描き、奉納した。
そして、和上が初めて立った日本の土地である鹿児島の秋目浦風景を描いた
『瑞光』を奉納した時は、構想から10年の歳月が流れていた。

唐招提寺障壁画の制作は、東山に、もうーつ重要な実りをもたらした。
それは「白馬のいる風景」という、これまでの作例にはない全く新しいモティーフであった。
画面上を駆けたこの白馬について、東山は後に、自らの「祈り」の現れであろう、
と、述べている。『緑響く』は、10年後に再制作したもの。

30年ぶりの京都展:
2018年8月29日(水)~10月8日(月・祝)京都国立近代美術館
10年ぶりの東京展:
2018年10月24日(水)~12月3日(月)国立新美術館
詳細は上記『緑響く』の画像をクリックしてご覧ください。

1975年 奈良唐招提寺御影堂壁画のうち『濤声』(部分)


officialsite
 2018.05.01 UP DATE
生誕110年東山魁夷展オフィシャルサイトはこちら
→http://kaii2018.exhn.jp/
 
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東山魁夷



東山魁夷展
東京は10年ぶり、
京都は30年ぶりの大回顧展。
京都展:京都国立近代美術館
2018.8.29〜10.8.
東京展:国立新美術館
2018.10.24〜12.3.


東山魁夷ポートレート
1984年75歳
撮影:日本経済新聞社

1908年 横浜市生まれ。
船具商だった父の仕事の関係
で3歳で神戸西出町へ転居。
東京美術学校現東京芸術大学
日本画科へ進学。
1929年在学中第10回帝展に
「山国の秋」を初出品し、
初入選を果たす。
卒業後、ドイツベルリン大学
現フンボルト大学に留学。
1945年母の死去にともない
50年以上に亘りその地で
創作活動を続けた。

1947年第3回日展「残照」が
特選を得たことが転機となり
風景を題材に独自の表現を
追求し続ける。
1956年日本芸術院賞
1960年東宮御所
1968年皇居宮殿障壁画制作。
1969年毎日芸術賞大賞
文化勲章文化功労者
1970年代 約10年をかけた
奈良唐招提寺御影堂障壁画
「黄山暁雲」は畢生の大作。
1999年 90歳で死去。

東京国立近代美術館
長野県信濃美術館東山魁夷館
神戸市兵庫県立美術館
香川県立
東山魁夷せとうち美術館
岐阜県中津川市
東山魁夷心の旅路館
市川市立東山魁夷記念館
等に寄贈された作品展示。

2012年「白い馬」



2007年
「東山魁夷 白の風景」



2006年
「東山魁夷 橙の風景」



2005年
「東山魁夷の世界」



2000年
「山水悠久―障壁画の世界」